かるあ学習帳

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『青い空のカミュ』「銀河鉄道の夜」「よだかの星」批評~不条理の反転光学~

今回は、『青い空のカミュ』批評の最終回です。私たちにとっては不条理で意味不明な出来事も、私たちよりも高次元な何かにとっては意味のある出来事なのかもしれない」というお話をさせていただきます。『青い空のカミュの作中で言及された「銀河鉄道の夜」「よだかの星についてもお話しします。
 
なお、本稿は、当ブログに寄せられたはくえい様、qcy0v0様、週休二日様のご意見を参考にして執筆したものです。本稿が完成したのは皆様のおかげです。皆様、本当にありがとうございました。
 

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『青い空のカミュ
シナリオ・原画:〆鯖コハダ
(C)KAI
2019年3月29日発売
 

銀河鉄道の夜」の不条理と必然

 

『青い空のカミュ』にネットで寄せられた批判を読んだら、結末が簡単に予想できるし、ストーリー展開に意外性がない」というようなものがありました。私は『青い空のカミュ体験版をプレイした段階で、挿入歌の歌詞やPVの内容などから、製品版の結末を予想しました。あとTwitterには、犬のサトくんと猿のヒヒの正体を事前に予想している方がいらっしゃいました。で、製品版をプレイしてみたら、予想のまんまの展開で終わりました。『青い空のカミュ』には読者に対する裏切りが(良くも悪くも)足りないと、正直私も思いましたね(苦笑)。

 
『青い空のカミュ』は、シナリオの前半を読んだら今後の展開を簡単に予想できる作品だと思います。この「今後の展開の予想しやすさ」が、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」をどこか彷彿とさせるなと思いました。例えば「銀河鉄道の夜」の冒頭では、銀河に関する講義が行われます。なので、冒頭を読んだだけで「これから銀河が舞台の物語が始まるんだな」と予想できます。また、冒頭の講義やジョバンニと母親の会話で、川について話されます。そこから、「これから川で何かが起こりそうだな」と予想できたりもします。
 
そして「銀河鉄道の夜の冒頭ではジョバンニがザネリにいじめられるのですが、このいじめもジョバンニが宗教的な体験をする素質があることを予告するためのフラグだと解釈できます。キリストが弱者の側に立ったことなどから、弱者であるジョバンニは神に迎えられるべき人物だといえる(「毛蟹の与太話」さんの受け売りで申し訳ないです)。ジョバンニは神に迎えられるべき弱者だと解釈すると、ジョバンニがいじめの標的になるのは当然のことのように思えますしかしジョバンニ本人は、いじめを不条理なこととして受け止めます。
 
ザネリはどうしてぼくがなんにもしないのにあんなことを云うのだろう。走るときはまるで鼠のようなくせに。ぼくがなんにもしないのにあんなことを云うのはザネリがばかなからだ。」*1
 

よだかの星」の不条理と必然

 
銀河鉄道の夜」のジョバンニだけでなく、「よだかの星のよだかもいじめの標的になります。いじめは非合理な現象だとよく言われます。よだかにとって、自分が生まれつき醜い外見に生まれたせいで他者に嫌われていることは、理不尽で耐え難いことでしょう。しかし、「よだかの星の物語構造を分析すると、よだかが追い詰められるのには必然性があると解釈できます。いじめは許されることではないと世間ではよく言われますが、「よだかの星」の物語には、いじめを必然的に発生させる構造が仕組まれていると私は思います
 

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私はこのブログで何回も書きましたが、よだかの星」では、星になる前と星になった後でよだかの性質が逆転しています。星になる前のよだかは醜く、食物連鎖に組み込まれており、有限な命を持つ。星になった後のよだかは美しく、それ自体として独立して存在しており、永遠に存在し続ける。この対句を成立させるために、星になる前のよだかは追い詰められる必要があったのではないかと思います。
 

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これはこのブログのお客様からいただいたコメントを読んで気付いたことなのですが、よだかの星」は、物語の内側から見るか外側から見るかの違いで解釈が逆転する物語でもあります。よだかの星という物語の内部に存在するよだかの視点に立つと、よだかの運命はとても不条理なものに思えるでしょう。『青い空のカミュの燐と蛍はよだかの運命に必然性を感じませんでしたが、これは燐と蛍がよだかの視点に立って物語を読んだからでしょう。しかし、「よだかの星」という物語の構造を外側から分析すると、よだかの運命は全て必然的に導かれたものだと思えてきます。*2
 

『青い空のカミュ』の不条理と必然

 

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『青い空のカミュ』のシナリオは、主人公の燐と蛍にとって不条理なものです。『青い空のカミュには、燐と蛍がゾンビのような化物に凌辱される理不尽なバッドエンドが5種類用意されています。『青い空のカミュに用意されている唯一の正解といえるエンディングも、ご都合主義を排したせつなさが残るものです。『青い空のカミュには燐と蛍にとって優しくご都合主義な結末が用意されておらず、燐と蛍にとって不条理な結末があるだけです。『青い空のカミュのシナリオでは、燐と蛍から見ると不条理な結末こそが、物語外部の読者である私たちから見ると必然なのです。
 

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物語の登場人物である燐と蛍には、自分たちの運命の必然性を感じることができません。物語の内側にいる燐と蛍は物語を外側から眺めることができないので、出来事の必然性や意味をうまく理解することができないのです。ジョバンニやよだか、燐と蛍にとって、出来事は偶然に・不条理に発生しているように見えるでしょう。読者である私たちは物語の登場人物よりも高次元な立場にいるので、一連の出来事に必然性や意味を読み取ることができるのですが。
 
私たちは人生の途中で、突然理不尽な目に遭うことがあります。しかし、私たちには意味のわからない出来事も、私たちよりも高次元の存在(実在しているかどうかは私たちにはわかりませんが、神や異次元人ヤプール人のような存在)にとっては必然性や意味がある出来事なのかもしれません。私は『青い空のカミュ』や宮沢賢治の童話を読んでいるうちに、不条理な運命に対する耐性が身に付きました(笑)。理不尽な思いをしても、「これは私にとって理不尽なだけで、私よりも高次元な何かが存在するとしたら、その何かにとっては必要なことなのかもしれないな」と思えるようになりましたね。
 
私が永遠に生き続けるとして、はたして謎は解決するだろうか。その永遠の生もまた、現在の生と全く同様に、謎に満ちたものではないのか。時間と空間のうちにある生、その謎の解決は、時間と空間の外にある。

*1:宮沢賢治『新編 銀河鉄道の夜』、新潮文庫、一九八九、一九六頁。

*2:物語の内側から見ると不条理に感じられ、物語の外側から見ると必然性を思えるというのは、「よだかの星に限った話ではないと思います。ただ、今回は、不条理と必然が物語の内/外で反転する「絶好の例」ということで、「よだかの星」を挙げさせていただきました。

*3:古田徹也『ウィトゲンシュタイン 論理哲学論考』、角川選書、二〇一九、三一一~三一二頁。