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『結晶塔の帝王』と『社会的ひきこもり』~ひきこもりのメタファー~

今回は、ポケモン映画第3作結晶塔の帝王 ENTEI』(以下『結晶塔の帝王』)を考察します。脚本家の首藤さんのコラムによると、『結晶塔の帝王』にはひきこもり状態の少女の解放」というテーマがあるそうなので、考えてみましょう。

 

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『結晶塔の帝王 ENTEI』
監督:湯山邦彦
(C)ピカチュウプロジェクト2000
2000年7月8日公開
おすすめ度:★★★★★深刻なテーマを優しい筆致で描いた傑作)
 

「物理的な意味のひきこもり」と「精神的な意味のひきこもり」

 

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『結晶塔の帝王』には、ミーという少女が登場します。ミーの父親は行方不明になっており、ミーの母親も(作中では理由が明かされていませんが)ミーのそばにいません。ミーは、両親がいない大きなお屋敷で、孤独な日々を送っています。
 

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正体不明のポケモンアンノーンはミーのお屋敷に侵入し、ミーのお屋敷を「結晶塔」に作り変えます。ミーは結晶塔の中に閉じ込められ、塔の外に出ないひきこもりになります。
 

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さらにアンノーンは不思議な力で伝説のポケモンエンテイを創造します。エンテイはミーが望む父親役になり、ミーの願いを叶えようとします。ミーが母親を欲しがったので、エンテイはサトシのママを洗脳し、誘拐します。こうして、ミーの願いは次々に叶います。
 

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ミーは、「パパとママが帰ってきて、ミーは嬉しいの。このままがいい!誰も入ってこないで!」と宣言します。サトシは洗脳され・誘拐されたママを救出するため、ミーが自閉する結晶塔に潜入します。
 
ミーは、物理的な意味でも精神的な意味でもひきこもりの少女だといえますまず、ミーの体は結晶塔の外に出ないので、ミーは外の世界から物理的に切り離されたひきこもりだといえます。そして、ミーの心はアンノーンエンテイが何でも願いを叶える夢の世界に幻惑されているので、ミーは現実から精神的に切り離されたひきこもりだともいえます。ミーの夢は何でも叶うので、ミーの心はいつまでも夢を見ていられます。
 

「去勢否認」のメカニズム

 
精神科医斎藤環さんが書いた『社会的ひきこもり』という本があります。先月も引用しましたが、この本にはこんなことが書いてありました。
 

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まず「去勢」について簡単に説明しておきます。(中略)精神分析において「ぺニス」は「万能であること」の象徴とされます。しかし子どもは、成長とともに、さまざまな他人との関わりを通じて、「自分が万能ではないこと」を受け入れなければなりません。この「万能であることをあきらめる」ということを、精神分析家は「去勢」と呼ぶのです。*1
 
皆さんは子どものころ、「大人になったらサッカー選手になる!」「将来は博士になりたい!」とか、いろいろな夢を見たことがあるかと思います。しかし、みんな成長するにつれて自分の力量がわかるようになり、無理な夢を見なくなると思います。無理な夢を見なくなるのは寂しいことではありますが、成長の証でもあります。万能であることをあきらめることを「去勢」と呼びますが、ミーは何でも願いが叶う世界にひきこもっているので「去勢」されていません。
 

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 まず問題とされるべきは、子どもたちが学校において「誰もが無限の可能性を秘めている」という幻想を強要されることです。これが問題となるのは、すでに去勢の過程を済ませつつある子どもたちにとって、このような幻想が、あたかも「誘惑」として強いられることです。つまりこれが、去勢の否認です。*2
 
斎藤さんは、子どもたちが学校で「誰もが無限の可能性を秘めている」と教えられ、現実を見ることができなくなっていることを指摘しています。自分にはできないことがあるという現実を見ず、何でもできる夢を見せられている子どもたちは、たとえ学校に通っていても、夢の世界に閉じ込められた「精神的な意味のひきこもり」のような状態であります。
 
こうして考えてみると、ミーの願いを何でも叶えるアンノーンエンテイの力って深いですよね。アンノーンエンテイの力は、子どもに何でもできる幻想を見せる学校教育や現代文明の象徴みたいなものだと私は思っています。「ひきこもりと去勢否認」という深刻なテーマを親子で楽しめるエンタメ映画の形に落とし込んだ首藤さんの脚本は、素晴らしいですね。*3
 

「去勢」をめぐる冒険

 
『結晶塔の帝王』は、何でも願いが叶う夢の世界にひきこもるミーが、現実の世界へと脱出する物語です。精神分析用語を借りて言えば、万能感があって「去勢」されていないミーが、「去勢」されるまでの過程を描いた成長物語だといえます。
 
私は先月、このブログで『ミュウツーの逆襲』を考察し、今回と同じように『社会的ひきこもり』についても書きました。ミュウツーの逆襲』では、ミュウツーは「去勢」されていない万能の存在として描かれ、ニャースは「去勢」された大人として描かれていました。『結晶塔の帝王』のミーは、ミュウツーのように「去勢」されていない状態からニャースのように「去勢」された状態に移り変わる少女です。
 

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(C)ピカチュウプロジェクト98
『結晶塔の帝王』は「ひきこもり」という問題をあからさまに扱った作品ですが、ひきこもりについて考える足場は『ミュウツーの逆襲』の段階ですでにある程度できあがっていたのではないかと私は考えています。

*1:斎藤環『社会的ひきこもり』、PHP新書、一九九八、二〇六頁。

*2:同上、二〇七頁。

*3:念のため補足しておきますが、「去勢否認」というテーマは、私=甘井カルアが首藤さんのコラムと『社会的ひきこもり』の内容から推論して導き出したものです。首藤さんが「去勢」という術語をご存知なのか、そもそも精神分析にお詳しい方なのかは、私には不明です。