今回は、ボン大学のマルクス・
『なぜ世界は存在しないのか』
マルクス・ガブリエル(清水一浩訳)
2018年初版発行
虚構と現実の区別を解体する
私が『なぜ世界は存在しないのか』を読んで印象的だったのは、 マルクス・ ガブリエルが従来の虚構と現実の区別を解体する哲学者であるとい うことでした。ガブリエルは『マトリックス』や『 インセプション』などの映画を例に挙げ、 虚構と現実の区別があいまいであることを指摘しています。
『マトリックス』では、私たちが現実だと思っているこの世界は、 実はコンピュータによって創造された〈仮想現実〉だった… という設定で、人類とコンピュータの戦いが描かれました。また、 『インセプション』は、 夢の中の世界での戦いを描いた映画でした。『インセプション』 のラストでは、〈夢か現実かを判定するコマ〉 が回転している途中で終わっており、 結局ラストの世界が夢か現実かがよくわからないオチになっていま した。
「新しい実在論」とはなにか
例えば、群馬県には「至仏山」という山があります。そして、「至仏山」 という山を、「田中さん」と「あなた」と「私」 が見ているとしましょう。このとき、 少なくとも以下の4つの対象が現実に存在していると「 新しい実在論」は想定します。
1.至仏山
2.田中さんの視点から見た至仏山
3.あなたの視点から見た至仏山
4.私の視点から見た至仏山
哲学者によっては、「1」だけが現実に存在していると考える人がいます。また、 ある哲学者は、「2」と「3」と「4」の存在を認めます。しかしガブリエルは、「1」「 2」「3」「4」はみんな現実に存在していると考えるのです。 これが、「新しい実在論」の特色です。
こうして新しい実在論が想定するのは、わたしたちの思考対象となるさまざまな事実が現実に存在している のはもちろん、それと同じ権利で、 それらの事実についてのわたしたちの思考も現実に存在している、 ということなのです。(p.15)
下線部の「 それらの事実についてのわたしたちの思考も現実に存在している」 という箇所にご注目ください。これは、かなり大胆な発言ですよね。 下線部の発言の大胆さがピンと来ない方のために、 より尖った例を考えてみましょう。
例えば、あるところに「香風智乃(かふうちの)」 というキャラクターの形をしたフィギュアが置いてあるとします。 そして、山田さんが、「香風智乃」のフィギュアを見ながら「 香風智乃」について考えているとしましょう。
このとき「新しい実在論」は、「香風智乃のフィギュア」だけでなく「香風智乃のフィギュアに関する山田さんの思考」も〈現実に存在している〉と考えるのです。
さて、ガブリエルの「新しい実在論」 の問題点が皆さんにもおわかりいただけたかと思います。 ガブリエルの哲学では、「 美少女フィギュアを見ているヲタクの思考」や「 美少女ゲームをプレイしているヲタクの思考」なども〈 現実に存在している〉ことになってしまうんですよ…。どうです、なんだか奇妙な理論でしょう?
ガブリエルの「新しい実在論」に正直困惑した私は、 とある若手研究者の方にこの問題点についてメールで質問してみました 。拝受したお返事によると、「架空の存在や思考をも〈 現実に存在している〉 とみなすガブリエルの理論は多くの批判を呼んだ」 とのことでした。ガブリエルの〈現実に存在している〉 発言はやはり、現地の学会でも批判されたみたいですね。