かるあ学習帳

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『ONE~輝く季節へ~』感想や考察みたいなもの

『ONE~輝く季節へ~』は、初期の麻枝准久弥直樹が脚本を担当した恋愛ゲームです。麻枝さんは後に『CLANNAD』『リトルバスターズ!などの超話題作を創造したヒットメーカーとして名を馳せ、現在も精力的に活動なさっています。久弥さんも別名義でウルトラマ……いえいえ何でもないです気になる人は自分で調べて下さい。さらに『ONE』の原画家樋上いたるさん。樋上さんは今では大学入試の参考書の表紙を描いたりしてるよなあ~(笑)
 
さて、ここまで説明したら『ONE』ってのはさぞかし御大層なゲームなんだろうなと思われるに違いありません。確かに『ONE』は重要な作品ですが、なにぶん20年以上昔のゲームですので、今プレイするとシンドイことが多々ありました。また、『ONE』には本田透らによる有名な先行研究がありますが、私がプレイした限り「この先達の見解、着眼点がズレてるんじゃね……?」と思う箇所が目に付いた。
 
それでは私、『ONE』への思いを素直に綴ります。これは『ONE』発売から20年以上後の現代人による、ピチピチの思いです。
 

『ONE~輝く季節へ~』
脚本:麻枝准久弥直樹、高林伸二
1998年5月29日
 

操作性の耐えられない不快さ

私は『ONE』を、2000年に発売されたPC用廉価版でプレイしました。このソフトは当然オイラの最新型PC(スペックは非公開w)には対応していないので、プレイ中にしょっちゅう誤作動が生じました。プレイしている途中で唐突にウィンドウが閉じたり、マウスカーソルが硬直して動かなくなったりすることが多々あったな。
 

『ONE』PC用廉価版は、操作性がメッチャ悪かったです。なんとこのゲームの画面には、今ではノベルゲームに当たり前に実装されている文章を早送りする」ボタンが付いてないのよ。ですから私、途中までこのゲームの文章を早送りせずにエンターキーorクリック連打で読み進めていたんですわ。で、文章を読み進めるのがあまりにも苦痛だったので説明書を読んでみたら……「Ctrlキーを押したら文章を早送りできる」ってちょろっと書いてあるやん!なんだよ、ソレを先に言ってくれよお~(苦笑)。ちなみにPC用廉価版にはバックログを表示する」機能も残念ながら付いてないので、大事な文章をうっかり読み飛ばしても前には戻れませんでしたw
 

特にこの一枚絵は見ていてキツかった……
また、このゲームはグラフィックも見ていてキツいものがありましたね。登場人物のイラストのデッサンがかなり狂っていることが多くて、現代では到底商品化できないレベルだと思う。PC用廉価版はBGMにループ再生する機能が付いてなくて、曲が終わったら場面が変わるまでずっと無音になります。このゲームの攻略ヒロイン(彼女にできるヒロイン)6人もいて、しかも正解の選択肢を選ぶのがかなり難しかったです。
 
古典的名作である『ONE』への不満をたくさん書いてしまって申し訳無い限りです。しかし私はファンや制作者にヘイトされる覚悟で、このゲームを今プレイするのは相当しんどいですよ」と言っておきたい。難しい話は抜きにして快適にゲームをプレイしたい人や、情報を効率良く消化したい人は、このゲームを無理にプレイしなくてもいいんじゃないかな、と思います。シナリオにもかなり時代を感じさせる箇所があったので、このゲームを今リメイクするとしたら大幅なチェンジが必要になるでしょうね。噂によると、近々リメイクされる可能性があるようですが。
 
さて、『ONE』は今プレイするとかなり苦痛なゲームでしたが、数多の苦痛を耐え忍んでこの作品を再評価する価値は大いにあると私は思っています。このゲームを今考察しても決して時間の無駄にはなりません。皆さん、良ければこれからの私の考察を判断材料にして、このゲームのプレイを是非ご検討下され。
 
(以下、超ネタバレ)

 

「恋愛による繋がり」と「友情による繋がり」

『ONE』の主人公・折原浩平は、幼少期に妹・みさおを亡くしました。みさおの死因は病死です。浩平はみさおの死による悲しみに打ちのめされますが、彼は謎の少女に出会い、「永遠はあるよ」と言われます。謎の少女は浩平に「これからはずっと私が一緒にいてあげるよ」と言い、浩平と少女は「永遠の盟約」を結びます。こうして浩平は、日常世界とは別の「永遠の世界」に触れることになります。これが浩平の心の奥底にある原体験です。
 

浩平は楽しく充実した高校生活を送りますが、1998年の冬ごろに幼少期の記憶を思い出し、「永遠の世界」へと旅立ちます。「永遠の世界」への旅立ちが近付くにつれて浩平の存在は希薄になり、人々は徐々に浩平の存在を忘れ始めます。しかし浩平は6人のヒロインのうち1人と愛を育むことにより、彼女との絆の力で元の日常に帰ることができるのであります。つまり「恋愛による繋がり」が、浩平と彼女を救済するのです。
 
『ONE』では非日常的な「永遠の世界」の様子が断片的に描かれるのですが、この「永遠の世界」とは何なのかは曖昧にぼかされています。「永遠の世界」の正体を詳しく考察しようとする人がいてもおかしくありませんが、いかんせん情報が足りなすぎるので深追いは不毛だと思います。そもそも「永遠の世界」は私たちの日常世界とは別の世界という設定ですから、現世を生きる私たちにはよくわからない世界だと思うよ(笑)。
 
ちなみに『ONE』には、隠しキャラが一人存在します。プレイ2週目以降から浩平が氷上シュンというキャラと関わるルートが開通するのですが、なんとこのシュン、です。美少女と関わるのが目的になりがちな美少女ゲームで、少年との関係を深めるシナリオが一本用意されてるのって、今でも相当珍しいですよね。ちなみに浩平とシュンのBLシーンとかは無いですw
 

シュンは浩平に意味深なことを語る謎の少年で、エヴァのカヲルを彷彿とさせるキャラです。シュンは浩平と恋愛関係になれず、「友達でしかいられない」と言っています。おそらくシュンルートは、「友情による繋がり」を表現したお話なのだと思います。美少女ゲームはその性質上「恋愛による繋がり」を表現した作劇になりやすいし、BLゲームの場合も「友情」ではなく「愛情」に傾きやすい気がするんですよ。でも『ONE』シュンルートでは友情の絆が主題的に描かれていて、こういう試みは今でも斬新でとても良いなと思ったね。
 

「虚構/現実」ではなく「分断/連帯」を語れ

本田透萌える男ちくま新書、2005)や東浩紀ゲーム的リアリズムの誕生講談社現代新書、2007)とか言ったオタク研究書に、『ONE』の考察が載っていました。こうした本や過去のネットの言説に目を通しましたところ、『ONE』は「虚構/現実」という観点から語られることが多かったみたいですね。作中の「永遠の世界」は二次元の虚構の象徴で、浩平の高校生活は現実の日常の象徴だ。浩平は「永遠の世界」から普段の日常に帰ったので、『ONE』は虚構から現実に帰れ」というメッセージを発しているのだ……みたいな解釈がありがちですね。
 

しかしこのゲームの読解に「虚構/現実」という二項対立を持ち出すのは、かなりの暴論だと私は思いますよ(笑)。なぜなら作中でシュンが「すべてが現実なんだよ。物語はフィクションじゃない。現実なんだよ」と言っているからです。物語や人の心の中を現実とみなすべきかどうかというのは難しい問題ですが、『ONE』が「全ては現実だ」というコンセプトを内包している以上、この作品では「虚構/現実」という二項対立が機能していないと考えたほうが良いでしょう。
 

私がプレイした限り、『ONE』のテーマは「絆」「繋がり」だと思います。浩平が取り込まれそうになった「永遠の世界」は、身近な人々との繋がりを断ち切る世界だと思います。そこで重要になってくるのが、恋人や友人とのだと思います。恋人や友人と連帯することによって、浩平は「永遠の世界」分断されなくなるのです。ですから『ONE』に「虚構/現実」という二項対立を持ち出すのは適切ではなく、代わりに「分断/連帯」という二項対立を考えるべきです。
 
現実逃避するオタクや引きこもりに対して「現実に帰れ」と説教する風潮が昔から存在しますが、そもそもなぜ現実に帰る」必要性があるのでしょうか。その理由として、虚構と現実の区別を付けられないオタクは周囲に迷惑を掛けがちだし、現実から逃げる引きこもりは社会から孤立しがちだからという説があります。その場合、問題なのは「虚構/現実」よりも「絆」「繋がり」「分断/連帯」でしょう。オタクや引きこもりが現実に帰らないことよりも、オタクや引きこもりが現実に帰らなくなることによって彼らが「社会と良好な関係を結べなくなる」という事態が、潜在的には懸念されている……ような気がする(これはあくまで私の半端な仮説です)
 

エヴァの呪縛」を断ち切れ

今ではだいぶ少なくなりましたが、世の中には何でも無闇にエヴァと結び付けようとする鬱陶しいオタクがいます。そういうオタクは『ONE』エヴァ旧劇場版と同じ1998年に公開されたことにこじつけて「『ONE』のテーマはエヴァ旧劇場版と同じ『現実に帰れ』で、このゲームはギャルゲー版エヴァみたいなもんなんだよ(ドヤァ!」とかすぐにほざきがちです。しかし前述の通り『ONE』ではエヴァ旧劇ほど「虚構/現実」がはっきり分かれていないので、この作品をエヴァ旧劇とのアナロジーで語るのは暴論です。
 
あえて言うなら、『ONE』の内容は最近の幾原邦彦作品に近いのではないだろうかと思います。『輪るピングドラム』では誰にも選ばれない「透明な存在」が、誰かに愛されることによって選ばれる様子が描かれました。ONE』の浩平が人々から存在を忘れられそうになった時に絆の力で存在を取り戻したのは、『ピンドラ』に近い現象だと思います。また、『さらざんまい』では「繋がり」がキーワードになっていて、これもまた『ONE』に近いテーマでしょう。私は幾原作品についてはそれほど詳しくないし、最近公開された『ピンドラ』の映画もまだ観ていませんが、ご参考までに。
 

他に、『ONE』のシナリオは1998年の宮台社会学とも縁が深いと思いますね。宮台真司は『これが答えだ!』で、これからの日本映画は「観念」ではなく「関係」を描くべきだという話をしています。『ONE』は観念的な「永遠の世界」に閉鎖されるのではなく恋人や友人との関係を結ぶべきだという話ですから、宮台さんと結び付けて論じても面白そうです。輪るピングドラムと宮台さんが両方とも酒鬼薔薇聖斗事件を問題にしているという点も、興味深いですね。
 
結論としては(特に本田透による)先行研究は『ONE』を考察する際に雑念が入りやすくなるし、『ONE』エヴァ旧劇場版とあまり親和性が高くないと思います。そうではなく、『ONE』は幾原邦彦宮台真司との親和性のほうが高そうな感じがしましたね。エヴァが完結してオタクたちが「エヴァの呪縛」から解放されつつある現代だからこそ、『ONE』は再評価されて欲しいです。