『Maggot baits』灰とダイヤモンドEND考察~行為が世界を変える~
『Maggot baits』
シナリオ:昏式龍也、栗栖
(C)CLOCKUP
2015年11月27日発売
貫かれた信念が意味を与える
『Maggot baits』灰とダイヤモンドENDを考察するに当たって、 無名の魔女の次の発言が重要になってくるだろう。 ある人の行為が意味のある行いなのかどうかは、 その行為に込められた信念の一貫性によって決まるのだ。
「行為に意味を与えるものは、ひとえにこめられた質量(おもさ)だけよ。意味不明で無価値な愚行だろうと、 貫く力がそこに意味を与える……与えてしまうの」 「逆もそう。どれだけ意義深く崇高だろうと、貫けなければ無意味の屑に終わるわ。復讐だろうと愛だろうと、 価値を持つのは正しい理由とやらじゃない。 個人が秘めたその質量(おもさ)……それだけなのよ」
傍目から見たら愚かな行為だとしても、 その行為を行う人間が信念を貫き通せば、 その行為には意味が与えられる。逆に、 誰が見ても立派な行為だとしても、 その行為を行う人間が信念を貫き通せなければ、 その行為は無意味になる。このいささか抽象的な理論が、 灰とダイヤモンドENDでは巧みに作品化されていると私は感じた 。
( ここから先には灰とダイヤモンドENDのネタバレが含まれていま す)
灰の誕生
『Maggot baits』の主人公・角鹿彰護は、 もともと正義と法を重んじる優秀な警察官であった。 彰護はハードコアな猟奇乱交パーティーの会場に突撃し、 乱交パーティーのために拉致された少女たちを救出しようとした。 しかし彰護は、 残念ながら拉致された少女たちを充分に救うことができなかった。
彰護には、警察官としての意義深く崇高な信念があった。 しかし不道徳な乱交を目撃し、 少女たちを守りきれなかった彰護は、 警察官としての信念を貫くことができなかった。 無名の魔女が言う通り、「どれだけ意義深く崇高だろうと、 貫けなければ無意味の屑に終わる」。 警察官としての信念を貫けなかった彰護の心には、無意味の屑…… すなわち燃え尽きた灰だけが残った。
彰護が突撃した猟奇乱交パーティー事件は、 結局闇に葬られることになった。 心に灰を溜め込んだ廃人になった彰護は、 行き場のない憎悪や憤怒を覚えた。燃え尽きた灰の中から、 歪んだ化け物が立ち上がった。怪物と化した彰護の目的は、 乱交が行われた現場がある関東邪法街への復讐である。
行為が世界を変える
彰護は三島由紀夫の『金閣寺』を読み、「 世界を変えるのは認識ではなく行為だ」 という思想に共感を覚える。『金閣寺』の主人公・溝口は、 最終的には「世界を変えるのは認識だ」 という結論に行き着いたが、『Maggot baits』のシナリオでは認識よりも行為が重視されている。
人間ほど高尚ではなく、動物ほど純朴でもない。単一の妄執に凝り固まり、 蛆虫のように身をよじる蠕動を繰り返すだけの存在となった今の自 分。そこから“行為”を取ったなら、 果たして何が残るというのか。地を這う蟲が持つ“認識”など、 鼠の糞ほどの価値もなかろう。
挫折によって警察官としての人間性を失った彰護は、 復讐に燃える蛆虫のような存在だ。蛆虫である彰護にとって、 人間的な認識は不用だった。彰護は認識ではなく、 行為によって世界を変えようとする。彰護は魔女と性交し、 倒すべき敵を容赦なく打ち倒していく。しかし彰護は途中から、 従者であるキャロルを取り戻すために戦うようになる……。
ダイヤモンドの誕生
灰とダイヤモンドENDの結末で彰護はキャロルを救済し、 復讐を終了する。そして彰護とキャロルの心には、 人間性が溢れた。彰護は人間性を取り戻したが、 それでも世界を最終的に変えるのは認識ではなく行為だと結論した 。より正確に言えば、世界を変えるのは「強い思念」 を乗せた行為なのだ。
「この世で最後に残るものは言葉よりも、より強い思念(おもい)を乗せた行為なのだろうと……高邁なはずの理想も、 ただの欲望に敗れ去ったように」 「俺がおまえをどう思ってきたか、おまえに何を感じてきたか。それを知りたいのなら、俺の足跡こそが教えてくれるはずだ。 何年経とうと、いつでもな」
キャロルは魔女から人間になり、 人間の世界で生きることになった。そしてキャロルは、 彰護との子供を出産した。「灰とダイヤモンド」ENDの「灰」 とは、 警察官としての信念を失ったかつての彰護の心の象徴であろう。 そして「ダイヤモンド」とは、 おそらく彰護とキャロルの間に出来た子供のことを指すのだろう。 貫けなかった信念の残骸が「灰」であり、貫かれた信念の産物が「 ダイヤモンド」である。
彰護とキャロルの間に出来た子供は、 彰護とキャロルの思念を乗せた行為の結晶であると解釈できる。 人間の認識を取り払えば、 赤ん坊の生は無価値なものなのかもしれない。しかし、 思念を乗せた行為の果てに子供を授かった彰護とキャロルにとって 、 赤ん坊の生はダイヤモンドのように高価な価値があるものであるは ずだ。
無名の魔女は、「意味不明で無価値な愚行だろうと、 貫く力がそこに意味を与える」と言った。 彰護は敵への復讐とキャロルの救済を貫徹することにより、 赤ん坊の出生を価値のあるものにした。 なんと美しい結末であろうか。
人間的な、余りに人間的な結末
最後に、灰とダイヤモンドENDについて、 少し辛辣なことを言わせてもらいたい。私が読んだ限り、 灰とダイヤモンドENDは人間賛歌だと思う。この結末は、『 Maggot baits』冒頭の文言と矛盾しているように思える。 このゲームの冒頭では、「 この物語は人間を描くものでは決してない。これは、 蛆虫のための物語である」と語られている。しかし、 灰とダイヤモンドENDは、明らかに人間を描く結末を迎えた。『 Maggot baits』は基本的に人間ではなく蛆虫を描く物語だが、 最終的には人間を描いた物語だったと思う。
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