かるあ学習帳

この学習帳は永遠に未完成です

「インテリがアイドルを研究し、アイドルが文学者になる時代」の誕生。

エンタメ消費の高レベル化が止まらない

ここ最近になってから、オタク文化評論界隈の高学歴化が急激に加速していると思う。例えば大阪大学感傷マゾ研究会」「早稲田大学負けヒロイン研究会」とか言った「研究団体」が、Twitterやnoteで注目を集めている。また、名前は書かないが、立命館大学の博士課程院生や日本大学の非常勤講師で、アニメについて研究している人が同じくTwitterで活躍していたりもする。私よりも学歴が高い人々がオタク文化について研究し、界隈で強力なコロニーを形成していると感じる今日この頃である。
 
私は先月、暇潰しに東京大学美学芸術学研究室のホームページを閲覧した。そして学部生の卒論を覗いてみたら、予想を裏切る内容だった。令和の東大生の卒論の題名がなんともおちゃらけゲフンゲフンポップな内容だったからだ。
 

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ビデオゲーム作品批評の批評」「グループアイドル・システムの誕生」「ジャニーズのホモソーシャル性 アイドルグループ嵐についての考察」「仮構性から見るコントの笑いの構造」「ビデオゲームにおける、ループするBGMの在り方について」「キャラクター論の展開におけるキャラクターソングの立ち位置について」…。パッと見、ゲームやアイドル、お笑いやライトノベルなど、エンタメコンテンツに関する卒論がかなり多い印象を受ける。勿論中にはシリアスな題名の卒論もあるけれど、令和の東大生はこういうポップな対象を研究して卒業してるんだなと、私は大きな衝撃を受けた。
 

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そしてゲームが研究対象として認められるようになっただけでなく「eスポーツ」としても認められるようになった。私の地元の高校でも次々に「eスポーツ部」が発足し、高校生たちが日夜ストリートファイターのコンボを特訓する「部活動」を行っている。プロゲーマーが、『東大卒プロゲーマー』『勝ち方はポケモンが教えてくれた』とかいう本を書いていたりもする。かつては暇潰しの趣味のように思われていたゲームが、今ではすっかり本気の競技種目の仲間入りである。
 
最早、アニメ・ゲーム・アイドル・お笑いのようなエンタメコンテンツを、単なる暇潰しの娯楽だと考えるのは時代遅れだろう。物凄いインテリや意識高い系の人々がエンタメ消費の現場に続々参戦しており、コンテンツ消費の高レベル化が止まらない。エンタメをエンタメと呼ぶのが憚られる世の中になってきていると思う。
 

「文学を書く芸能人」の続々参戦

最近ではインテリがアイドルやお笑いを堂々と研究するようになった一方、アイドルやお笑い芸人が文学を執筆するようになった。
 
2015年、お笑い芸人の又吉直樹『火花』芥川賞を受賞したことは記憶に新しい。又吉は純文学を読むのが趣味で文才に恵まれており、芸人だけでなく作家としての力量も高く評価されている。又吉は去年の3月に東大の副学長と「言葉の力」をテーマにした対談を行ったらしい。インテリがお笑いを研究し、お笑い芸人が純文学を書いたり有名大学で講義したりする世の中である。
 
また、2020年にはAV女優の紗倉まなが書いた小説『春、死なん』が、野間文芸新人賞の候補になった。今、私の手元に『群像』とかいう文芸誌が置いてあるのだが、この雑誌に紗倉まなの小説が掲載されていた。文章にざっと目を通した限り、紗倉さんも文才があるなと思った。紗倉さんも又吉と同じように、芸能人としてのネームバリューがあるだけでなく小説家としての実力も備わっている人なんだろうなと思う。
 

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そして去年、ジャニーズアイドルの加藤シゲアキオルタネート』吉川英治文学新人賞を受賞した。東大生がジャニーズアイドルの卒論を書き、ジャニーズアイドルが文学の新人になるのが、令和という時代である。加藤シゲアキは自分で書いた短編小説を舞台化し、脚本家デビューも果たしている。加藤シゲアキ直木賞本屋大賞の候補になっており、着実に人気作家としてのコースを歩みつつあると持ち上げておこう
 
他にも、乃木坂46元メンバーの高山一実が『トラペジウム』という小説を書いたり、宇多田ヒカル又吉直樹と『文学界』で対談したりしている。*1こうなってくると、「こんなん『文学界』じゃなくて『芸能界』やろ!とツッコミを入れたくなる。このように令和の日本では、文学界と芸能界の境界が曖昧になってきているのだ。
 

ハイカルチャー/サブカルチャー」の解体

一昔前の世の中では、主にインテリが文学の研究や執筆を主導し、アニメやアイドルなどは大衆に消費される暇潰しコンテンツだと思われていたと思う。しかし令和の日本では明らかに価値が転倒し、ハイカルチャー/サブカルチャーの境界がグチャグチャに掻き乱されている。言うなればインテリがアイドルを研究し、アイドルが文学者になる時代」の誕生である。私は「ハイカルチャー/サブカルチャーという区別を今後極力使わないことを、ここに宣言する。なぜなら令和は、「ハイカルチャー/サブカルチャーの区別が根本的に失効した時代だからだ。
 

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京都大学名誉教授の辻本雅史は『江戸の学びと思想家たち』で、学校をメディアとして考えるという興味深い視点を提示している。私たちはテレビというメディアでM-1グランプリを見たり、FANZAというメディアでポルノビデオを視聴したりしている。それと同じように、私たちは学校というメディアで政治の講義を受けたり、数学の授業を聴いたりする。つまり学校にはテレビやFANZAと同じように「情報の伝達メディア」という側面があり、学校の授業はM-1グランプリやポルノビデオと同じような「メディアから発信された情報」だと解釈できるわけだ。
 
辻本は学校というメディアがインターネットなどのデジタルメディアに主役の座を奪われてきていることを危惧している。学校というメディアが発信する日本史の授業はつまらなくて眠くなる情報だけど、デジタルメディアが放送するお笑い動画やアイドルのPVは睡眠時間を削りながら没頭できる面白い情報だ。デジタルメディアが学校よりも強力な覇権メディアになり、アニメやアイドルは日本史や数学よりも魅力的な情報だと人々が確信するようになったとき、時代に大きな転回が発生する。そして、ハイカルチャー/サブカルチャーの区別は転倒し崩壊するのである。

*1:ついでに宇佐見りんさんの芥川賞受賞作『推し、燃ゆ』がアイドルを題材にした小説であることも付け加えておきたい