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大江健三郎『洪水はわが魂に及び』考察:破~DQNと縮む男と全集中の祈り~

大江健三郎ノーベル文学賞受賞者であり、日本文学の最高峰に位置する小説家である。彼の大作長編洪水はわが魂に及び』は、人類には早すぎた想像力で描かれた物語である。この小説は1973年に発行された作品なのに、ここ最近の令和の世相すら予言するような内容になっている。このちょっと手に入りにくい小説の内容が気になった人は、『洪水はわが魂に及び』メルカリなどで買うなり大江健三郎全小説』第7巻を図書館で借りるなりして下さいお願いします。
 

『洪水はわが魂に及び(上・下)』
新潮社
1973年9月30日発行
 

管理社会はヤンキーに冷たい

『洪水はわが魂に及び』には、「自由航海団」という不良集団が登場する。「自由航海団」の創設者・喬木は、東京大地震が発生して首都圏が大混乱になる前に、仲間と一緒に船に乗って航海に出ようと思っていた。1923年に関東大震災が発生した時、無実の朝鮮人が虐殺された。喬木は将来の震災では自分たちヤンキーが老害に虐殺されると予想し、東京大地震が来る前に海に脱出しようと計画した。*1
 

大震災より前に「自由航海団」が海に出ようとしているのは、地震に東京が潰滅する日、おまえたちはわれわれをみな殺しにしようとするからだ。われわれは大虐殺から前もって避難しようとしているのだ。(中略)おまえたちのいうとおり、われわれは反社会的な者だ。そしてそれだけだ。われわれはどのような未来社会とも関係したくないぞ、おれたちは未来社会など存在しないと知っているんだ。われわれはおまえたちとおなじ地上で滅亡するのが嫌だから、海に出るだけだ。」(下巻,p.218)
 
「自由航海団」は自分たちの船を守るための軍事訓練を行ったが、「縮む男」という裏切り者に訓練中の写真を撮られ、週刊誌の餌食になった。そして「自由航海団」は、物語の終盤で警察や機動隊に包囲されてしまう。この小説はおそらく、現代社会ではマスメディアや国家権力がとても強いので、不良が自由に暴走するのは難しい」ということを表現しているんだろうなと思った。
 

最近『東京卍リベンジャーズ』の真似をした大阪の暴走族が、警察に書類送検されたという事件があった。『東リベ』は暴走族が暗躍する裏社会の抗争をカッコ良く描いたアニメで、特に「東京卍會」総長のマイキーが最強である。マイキーは「最近落ち目の不良の時代を作る」ために、「東京卍會」を創設した。しかし「自由航海団」にしろ「東京卍會」にしろ、現実の現代社会で実現するのはクッソ難しいと思う。なぜなら現代では文春砲や有能警察が恐ろしく手強いので、そこら辺の不良ヤンキー如きでは太刀打ちできないと考えられるからだ。
 

人類は縮んで爆発する

「自由航海団」の軍事訓練を週刊誌に通報したのは「縮む男」で、この「縮む男」ってのがまた恐ろしく濃いキャラなんだよw。縮む男」は三十五歳の誕生日に自分の体がどんどん縮むようになり、ぺニスだけは勃起していなくてもどんどん肥大化していく異常者なのである。「縮む男」は自分の肉体を「最後の花火」だと言っていて、自分は「全人類が逆行している」ことを告知する予言者だとも言っているんですわ~(苦笑)
 

「おれはこのままの状態を忍耐していれば、「自由航海団」の内にいても外にいてもそんなことには関係なしにな、縮んで縮んで縮んでいって、骨の構造と内蔵が負担にたえられなくなる日がきて、グシャッっと潰れて死ぬにきまっているんだ。核爆発の用語でいえばな、インプロージョンすることができるんだ。内側に向けて爆発して死ぬことができるんだよ。ソノ日ガクレバ、オレハ核時代ニモマタフサワシイ予言者ニナレルンダヨ!人類がな、全歴史規模の逆行をはじめてしまって、それも人間ひとりひとりの肉体に、進化・成長とは逆の遺伝子がすみついてしまったことを、世界にむけて第一番目に告知できるんだよ。」(下巻,p.25)
 
「縮む男」は内側に向けて爆発する「インプロージョン」を自演し、人類の終末を予言した。試しに「インプロージョン」でググってみたら、今の日本経済はアベノミクスの末路でインプロージョンしそうになっているという内容の記事が見付かった。私は経済学は門外漢なのだが、この記事を読んだ感じだと、日本社会は「縮む男」の予言通りマジで縮んで爆発しそうになってるっぽい。アベノミクスという言葉が生まれるよりもずっと昔の1973年の時点でここまで世界の終わりを予言できる大江健三郎マジモンのバケモンだろww。
 
以上の理由により、「縮む男」アベノミクス以後の日本経済を予言していたというのが私の解釈である。しかしおそらく「人類は内側に向けて爆死する」という予言は、他にも様々な事象の予兆であると考えられる。みんなも身の回りにある内側に向けて爆死しそうな物事を探してみたら面白いかもしれないぞ(面白くねーよ)
 

何ごとも全集中が大事

『洪水はわが魂に及び』には、主人公・勇魚が「自由航海団」のメンバーにドストエフスキーの講義をする場面がある。「縮む男」もドストエフスキーを愛読しており、勇魚はカラマーゾフの兄弟に出てくるゾシマ長老の名言を紹介した。ゾシマ長老によると、「祈り(pray)」とは「教育(education)」であるという。
 

ゾシマ「青年よ、祈りを忘れてはいけない。祈りをあげるたびに、それが誠実なものでさえあれば、新しい感情がひらめき、その感情にはこれまで知らなかった新しい思想が含まれていて、それが新たにまた激励してくれるだろう。そして、祈りが教育にほかならぬことを理解できるのだ。」(上巻,p.187)
 
『洪水はわが魂に及び』の作中では、祈るということは「自分全体で何かに集中すること」だと定義される。他人にとって下らなく思えることでも、自分が何かに全身全霊で集中すれば「新しい感情」や「新しい思想」が降臨してくる。全集中で祈れば得られる物が多いので、「祈り」とは実質「教育」なのである。「自由航海団」のヤンキー達は地頭が良い連中なので、何であれ強く激しく集中することが大事だ」という真理をすぐに体得した。
 

「正の意味でも負の意味でも、何にたいして祈るのか、ということがかれらの関心ではなかったのだ。(中略)この高等教育を受けたことのない連中にはこぞって言葉へのある不思議な本能があって、なにに向ってprayするかということは、この際二義的な問題であり、prayすることの強さ、激しさこそが問題の核心なのだと、みぬいているかとさえ感じられた。」(上巻,p.192)
 
ちなみに「祈りとは集中だ」という思想は後期の大江作品では重要らしく、『燃えあがる緑の木』第二部でも同じような思想が再説されている。『燃えあがる緑の木』もオウム真理教原発事故・NHK批判を予言するような内容で、人類には早すぎた小説であった。大江健三郎の小説は高レベル且つ凡人の遥か先を行く想像力で執筆されているので、尚更一般ウケしづらいのが残念だ。大江健三郎のおそろしく速い想像力……Don't miss it!

*1:将来首都で地震が起こったらヤンキーが老害に殺害される」という説についてはもっと精細に検討すべきかもしれんが、今回は深入りしませんすみません