かるあ学習帳

この学習帳は永遠に未完成です

実話・私の心に人権が生まれた時、自閉症の少年が笑った。

私は2020年から一年半の間ずっと、■というパワハラ上司から陰湿ないじめを受けていた。
 

■は赴任早々、初対面の時点でなぜか私のことをとても嫌っていた。
私が■に挨拶をしても、■は私のことを無視した。
私が■に書類を渡そうとすると、■は私の手からひったくるように書類をむしり取った。
「その手で私に書類を渡そうとするな。書類を渡したいなら、私に直接渡さず、机に置け」と■に言われたこともある。
■は私にものを投げつけたし、私の耳元で小声で暴言を囁いたし、私をゴミを見るような目で見ていた。
 
私はパワハラが原因で心身に不調をきたし、職場でミスを連発するようになった。
私がミスをする度に、全ては私が悪いことになった。
 
私は■にいじめられている間、自分にはこの世界で生きる権利が与えられていないと強く思った。
私の職場では名目上はパワハラが禁止されていたし、パワハラ対策の電話相談ダイヤルも用意されていた。
私は父親に■からパワハラを受けていることを告白し、パワハラ相談ダイヤルに電話したいと言った。
しかし父は、私の提案に猛反対した。
 
カルア、お前は職場の下っ端なんだから、上司を電話で告発するのはやめろ。もしも告発なんかしたら、お前は職場や上司の裏切り者みたいに思われるかもしれないぞ。会社でいじめられても、お前は我慢しろ。
 
私は父の言う通り、職場で内部告発することのリスクを恐れた。
だから私は一年半の間、父の進言に従い、■からの陰湿ないじめを無抵抗で我慢した。
私には転職できる自信が無かったので、今の職場を辞めることもできなかった。
コロナ禍の影響で新しい仕事が簡単に見付かりにくい時代に突入したから、私は地獄の職場にしがみつく決断をした。
 
そして私の我慢の末、■は他の支店に転勤した。
ようやく訪れた夜明けに私は喜び、一年半の間我慢を貫き通した自分を、自分で褒めた。
 
 
しかし、私の幸せは、そう長くは続かなかった。
一旦転勤した■が、昨年末の人事異動で、再び私の職場に戻ってくることになったのだ。
 
嫌だ!嫌だ!
また、■に、いじめられたくない!
また■にいじめられるくらいなら、俺は、危険を犯してでも、パワハラ相談ダイヤルに通報して、■から受けた罪状を全部告発してやる!
 
私は勇気を通り越した生存本能に促されてパワハラ相談ダイヤルの電話番号を押し、電話に出てきたパワハラ担当の女性に、■から受けた虐待の数々を恥を捨てて逐一報告した。
……まるで、銀行にやってきた強盗を見て、110番通報して叫ぶ行員のような大声で!
 
私は、■から、一年半の間、ずっとパワハラを受けていたんです!私は、■に、人権が無いゴミのように扱われてきたんです!私は、また、あの■に、昔みたいに虐待されると思うと、今からでも、怖くて仕方が無いんですよおおおおおおおおおおおお!!!!!
 
電話に出てきたパワハラ担当の女性は、■パワハラを告発する私の恐ろしい剣幕に、すっかり怯えている様子だった。
……よし、とりあえずこれで俺の告発は向こうに伝わったな。
そしてパワハラ担当の女性は、私にこう答えた。
 
「……ご報告ありがとうございます。カルアさんが■から酷いパワハラを受けていたことが、よくわかりました。今回の件につきましては、カルアさんの人権に配慮して、通報したカルアさんの名前が特定されないよう、細心の注意を払って改善に努めてまいります
 
……………じん、けん…………………?
 
…………ジン、ケン……………。
 
………人、権………。
 
 
 
「人権」
 
 
 
私は電話越しにこの言葉を聞いて、体中に恐ろしい程の歓喜が込み上げてくるのを感じた。
私は今までずっと、誰かに自分の人権を認めて欲しいと、心密かに願っていたことに気付いた。
私はこの「人権」という言葉を聞くために、今日まで生きてきたのだと思った。
 
その日、私の心に、人権という黄金のような起点が据えられた。
 
 

私は小学校時代に重い鬱病を患っていたし、学校で自分の居場所を見付けることができなかった。
私は中学・高校では他人にいじめられることを極度に恐れ、怯えながら学校生活を送っていた。
私は第二希望の居心地の悪い大学に通い、社会に出たら■から陰湿なパワハラを受けた。
 
こうした一連の積み重ねで、私は、
「自分は強者に抵抗できない。自分には居場所がない。自分にはこの世界で生きる権利がろくに与えられていない」
と思いながら生きていた。
 
学校の道徳の授業で人権を学んでも、日本国憲法で人権が尊重されていても、そんなのはあくまでも理論上の話だと私は思っていた。
学校や職場で「ここにいてもいい」という気分に全くなれなかった私は、「自分には人権がある」ということを、自分の心の中で上手く実感できずに30年以上生きていたのだ。
 
しかし私は今回の電話で、「自分の人権」という小さな、しかし揺るぎない椅子の存在をようやく実感した。
私は今まで学校や職場で味方を上手く作れなかったけど、自分でも必死で叫んだら、誰かがちゃんと味方になってくれる。
私の職場は予想以上に良心的だったから、私はパワハラを苦にして会社を辞めなくていいみたいだ。
 
私は人権という椅子を勝ち取り、その椅子の座り心地の良さを楽しんだ。
 
 
私の通報は■に対してかなり有効だったらしく、■は職場のシフトで私と重ならない時間帯に働くことになった。
会社の就業規則で禁止されているパワハラを犯した■は、上長から厳しい叱責を受けたらしい。
久しぶりに職場に現れた■は、かなり弱っているように見えた。
これでもう、私には、■にいじめられる心配はほぼ無いだろう。
 
「自分には人権がある」という心地良い自信と安心感に包まれ、私は職場のレジに立った。
閉じて塞がれた私の心は完全に開放され、店内の空気、音、人々の息遣いが、私には今までになく瑞々しく感じられた。
これから何か素敵なオーケストラか、長編映画が始まるような、期待に私は心を踊らせた。
 
レジの前に、一組の親子が並んだ。
中年の母親と、そこそこ成長した自閉症の少年の親子だった。
この親子は私の職場では有名な常連の顧客で、自閉症の少年が無言で表情を変えずに、あらぬ方向をよく見ていることが私の印象に残っていた。
 
しかし、パワハラの恐怖から開放された私の前に現れた自閉症の少年は、いつもとは全く違った、初めての反応を見せた。
 
その自閉症の少年は、私の顔を真っ直ぐ見て、顔中がしわだらけになるくらいの笑顔を浮かべながら、私に手を振ってくれたのだ!
 
自閉症の少年の中には、俗に言う《健常者》よりも勘が鋭かったり、特別な才能を持っていたりする子供がたまに存在すると言われている。
この少年は優れた直感に恵まれていて、私が心を開いて自信を持ちながら働けるようになったことを、ちゃんと感じ取っていると思った。
心に人権が生まれた私の幸せがこの自閉症の少年に伝わって、この少年は私の幸せを喜んでくれている!
しかも私はこの少年に、今日は一言も話しかけていないのに!
自閉症の少年の笑顔と温かい眼差しを浴びながら、私はそう確信した。
 

その自閉症の少年の笑顔は、傷や汚れが一つもない、透明な窓ガラスのように美しかった。
この少年の笑顔を見ることができたから、自死せずに生きていて良かったと私は心から思った。
少年の隣に立っている母親は、急に笑い出した自分の息子を、怪訝そうな目で見ていた。
しかし、私と自閉症の少年の間には、怪訝なことは何もない。
私と自閉症の少年は、言葉を交わさずに、生きる喜びを無線通信のように交換していた。
 
「今日も、レジに並んでくれて、ありがとうね!今度も、またお店に来てね!」
 
と私は最後に自閉症の少年に言って、私も自閉症の少年に負けないように、笑いながら全力で手を振ってその少年と別れた。
 
 
私は今まで、あの自閉症の少年は、《自閉症》の名の通り、世界に対して心を閉ざしているのかなと思っていた。
しかし、それは、おそらく大きな間違いだったと今では感じられる。
世界に対して心を閉ざしていたのはむしろ、■にいじめられ続けていた私のほうだったのだ。
 
■からのパワハラに悩まされていた頃の私は、仕事が終わった後にそのまま自宅のマンションに帰らず、近所のひと気の無い神社によく行った。
私は人間社会にウンザリしていて、会社どころか、自分が住んでいる集合住宅に帰りたいとすら思えなくなっていた。
周りに人間の気配が全く感じられない、この寂れた神社だけが、自分に残された最後の聖域なのだという気がしていた。
私は神社の石段に腰掛け、頭を抱え、怯えながら独り言を言った。
 
……もう嫌だ。自死したい。俺は学校でも、会社でも、ずっと他人に怯えていて、自分の居場所を全く作れなかったから。■は私のことを価値の無いゴミのように虐待する。……ゴミ。確かに俺は、ゴミなのかもしれないな。自死したい。死ねば、俺はようやく楽になれる気がする。
 

私は明らかに、世界に対して心を閉ざしていた。
私は自閉していたから、私を照らす神社の木漏れ日の美しさに、気付くことができなかった。
 
 
レジに並んだあの少年は、透明な窓ガラスのように美しい笑顔で、心に人権が誕生した私に大きく手を振ってくれた。
透明な窓ガラスがありのままの世界を映し出すのと同じように、あの少年の透明な笑顔はありのままの私の存在を許しているように思えた。
あの少年は《自閉》しているどころかありのままの純粋な自己を《解放》して私の存在を許しており、彼と同じようにありのままの自己を《解放》できるようになった私との《交感》を楽しんでいるように私には感じられた。
 
だから私は、彼をもはや、《自閉症児》なんて呼びたくないんだよ。
 
私は彼の純粋で透き通った笑顔を思い出しながら、自宅の透明な窓を念入りに拭いた。
この透明な窓を、あの少年の笑顔のように透き通るまで、何度も何度も磨こう。
そうすれば透明な窓越しに、曇りない町並みが見えるようになるから。
 
私はいつの間にか、自宅の透明な窓から見える、夕暮れの町並みを見るだけで、とても幸せになれる力を手に入れたことを知った。
 

昔から見慣れた町並みに、今日も太陽が沈む。
私は心を完全に開放し、透明な窓から降り注ぐ夕焼けの光を静かに受け止める。
私はただそれだけで笑顔になり、幸せになれるようになったのだ。
 
「ありがとう」
 
あの少年の透明な笑顔を思い浮かべて、透明な窓ガラスに向かって、感謝の言葉を私は静かにつぶやいた。
 
(終)