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『ポケットモンスター キミにきめた!』批評~連鎖する「特別」と「例外」~

ポケットモンスター キミにきめた!』(以下『キミにきめた!』)は、ポケモン映画20周年記念作品である。この映画では主人公・サトシが「特別な人間」として描かれていると思うし、特別で例外的な出来事の連鎖がこの物語を支えていると思った。今回は「特別」「例外」に着目して『キミにきめた!』の批評を試みたい。
 

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ポケットモンスター キミにきめた!』

監督:湯山邦彦
(C)2017 ピカチュウプロジェクト
おすすめ度:★★★★★(20周年に相応しく「特別感」溢れる傑作)
 

「例外」の集積

『キミにきめた!』の冒頭では、主人公・サトシの旅立ちが描かれる。サトシの旅立ちでは、数多くの例外的な出来事が連続して発生している。ありふれた人生を送る凡人には到底体験できない「例外」が、冒頭に集積しているのだ。
 

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10歳の誕生日を迎えたサトシは、ポケモントレーナーとして旅に出る事になった。サトシは旅の相棒として、オーキド博士からポケモンを貰う事になっていた。オーキド博士フシギダネヒトカゲゼニガメの3匹を用意しており、これら3匹の中から1匹の相棒を選ぶのが通常の習わしである。しかしサトシは無意識の内に目覚まし時計を壊してしまい、旅立ちの日に遅刻してしまう。そのためサトシは、フシギダネヒトカゲゼニガメを他の新人に奪われてしまった。サトシは遅刻という失態を犯す事により、ポケモントレーナー例外」に逸脱したのである。
 

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オーキド博士ピカチュウ保有しており、サトシはピカチュウと旅に出る事にした。マサラタウンポケモントレーナーフシギダネヒトカゲゼニガメではなくピカチュウと一緒に旅立つというのは異例、例外」の事態である。しかもピカチュウモンスターボールに入るのが嫌いなので、サトシはピカチュウをロープで引きずって歩く事になる。自分のポケモンモンスターボールに入れずに引きずって連れ回すトレーナーというのも、「例外」の存在であろう。
 

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サトシとピカチュウは旅に出た矢先、野生のオニスズメの大群に攻撃される。サトシは自分の身を犠牲にして、オニスズメの攻撃からピカチュウを守ろうとする。ポケモンを使役せず、逆にポケモンに献身するサトシは、トレーナーとしてかなり「例外」だろう。そして、サトシの体を張った自己犠牲は、自己保存を旨とする穏健な生き方から逸脱した「例外」だと言えなくもない。臆病なポケモントレーナーなら、ピカチュウを見捨ててオニスズメの大群から逃走してもおかしくないはずだ。
 

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サトシは自己犠牲によってピカチュウを守ろうとし、ピカチュウもサトシの誠意に応えるかのようにしてオニスズメを撃退した。こうしてサトシとピカチュウの間には絆が芽生える事になった。そこに飛来した伝説のポケモン・ホウオウは、サトシにレアアイテム「にじいろのはね」を与えた。駆け出しのトレーナーの前にホウオウが姿を現すというのは例外」の事態だろうし、サトシが受け取ったにじいろのはねも通常は簡単に手に入らない例外」の代物だ。
 
サトシの旅立ちが「例外」に満ちていて、サトシ自身も例外的な人間だと言う事が、これで納得いただけただろうか。
 

選ばれなかった男

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『キミにきめた!』には、ジラルダンやビシャスのように強大な悪役が登場しない。代わりに、クロスという性格の悪いライバルが登場する。クロスは、「ポケモンは強さこそ全て」という思想を持つ過激派である。クロスはポケモンとの親睦を深めようとするサトシを見下し、バトルに勝てない貧弱なポケモンを平気で見捨てる男である。原作ゲーム(ポケモン赤緑、剣盾など)に馴れ親しんだ人なら、クロスは強力なポケモンを厳選する「厳選厨」「対戦廃人」だと揶揄するだろう。
 

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サトシが伝説のホウオウに選ばれた「特別な人間」として描かれている一方、クロスはホウオウに選ばれなかった男である。クロスはサトシからにじいろのはねを強奪し、にじいろのはねを黒く染めてしまう。おそらく作り手は、クロスを人間性が低い卑劣な人間として描く事により、サトシが徳の高い「特別な人間」である事を際立たせる効果を狙っているように思える。そしてにじいろのはねは、「特別な人間」とそうでない人間を選別するリトマス試験紙のようなアイテムだと言えるだろう。
 
ホウオウとにじいろのはねによって選別されなかったクロスという男を対置する事により、サトシが「特別な人間」であるという事が作中で強調されていると感じた。
 

終盤の解釈

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『キミにきめた!』では、ピカチュウが一度だけ人語を喋る。と言うか、サトシとピカチュウの絆が最高点まで達した瞬間、サトシはピカチュウの言葉を理解できるようになったのかもしれない。ピカチュウ本人によると、ピカチュウはサトシと「いつも一緒にいたいから」モンスターボールの中に入らないらしい。つまりピカチュウは、サトシと常に一緒にいる事を自発的に決断していたわけだ。サトシがピカチュウを相棒にする事を決断しただけでなく、ピカチュウの方もサトシの伴侶になる事を決断していたのだ。
 
この映画の終盤では、サトシが自分の身を盾にしてポケモン達の総攻撃からピカチュウ守る。サトシは一旦力尽きて消滅するのだが、何だかよくわからない理由で復活する。ネットで他人の感想を漁っていると、「なぜサトシが復活したのか」を大真面目に考察している人がいた。しかしポケモン映画に長年馴れ親しんだ人間なら、「ここはそういうものだ」とすんなり納得するのが賢明な態度であろう。ポケモン映画では『ミュウツーの逆襲』『水の都の護神』『ディアルガVSパルキアVSダークライ』などで、「自己犠牲からの復活」が繰り返し描かれてきた伝統がある。キミにきめた!』でも、「自己犠牲からの復活」が相変わらず描かれた。ポケモン映画っていうのは、きっとそういうものなのだ。
 

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最後に、この映画の題名である「キミにきめた!」という言葉を考察してみたい。サトシはピカチュウを相棒だと思っており、サトシはピカチュウに「キミにきめた!」と言っている。そしてピカチュウはサトシといつも一緒にいたいと思っており、サトシの伴侶になる事を決断していた。だから、ピカチュウの方もサトシに対して「キミにきめた!」と思っているはずだ。さらにホウオウはサトシの事を気に入り、サトシににじいろのはねを与えた。つまりホウオウもサトシが見所のある人間であると認定し、サトシに対して「キミにきめた!」と思っているだろう。こじつければ他にいくらでも解釈が思い付きそうではあるけれど、「キミにきめた!」という題名の大意は以上だろう。*1
 
「キミにきめた!」とは即ち、力強い決断の表明である。サトシはピカチュウを相棒にする事を決断し、ピカチュウはサトシといつも一緒にいる事を決断し、ホウオウはサトシににじいろのはねを渡す事を決断した。この映画は、特別で例外的な決断の結び付きによって成り立っているのである。

*1:サトシはホウオウに会うために旅を続けたのだから、サトシがホウオウに対して「キミにきめた!」と思っているという説があるだろう。しかし、私が観た限り、サトシはホウオウに対して「キミ」呼ばわりする程の親近感を持っていないのではないかと思われる。そのため、私はこの説をあまり支持しない。