かるあ学習帳

この学習帳は永遠に未完成です

嫉妬に燃える、君は美しい。

私は昔、地元の美術館で、《嫉妬に燃えるキルケ/Circe Invidosa》という絵を観たことがある。
 

この絵には、キルケという魔女が、嫌いな女を潰すために、入り江に毒薬を流し込んでいる様子が描かれている。
 
キルケは、グラウコスという海の神に、恋をしていた。
 
しかしグラウコスはキルケではなく、スキュラとかいう別の女のことが好きだったのだ。
 
だからキルケは入り江に毒薬を流し込み、水浴びをするスキュラを醜い怪物にしようと企んだのである。
 
スキュラは毒を浴びてキルケの思惑通りに醜い怪物になったのだが、結局グラウコスはキルケに愛想を尽かし、キルケと絶縁したという。
 
 
嫉妬は醜いものだと思われがちだが、絵の中の嫉妬に燃えるキルケは、恐ろしく美しいと私は思った。
 
そして水面には何も燃え広がらないと凡庸な人間は考えがちだけれど、この絵の中では、キルケの嫉妬が、火焔のように燃え広がっている。
 
なぜ、私ではなく、あの女が選ばれたのか。
 
なぜ、私は、あの男に愛されないのか。
 
キルケは毒薬を真っ直ぐに見つめ、毒薬は真っ直ぐに水面に落ち、キルケの長い脚は真っ直ぐに伸びている。
 
嫌いな女を潰そうという思いは真っ直ぐで揺るぎなく、そこに迷いは全く無い。
 
そして垂直に落下する嫉妬が、水面で波紋を描きながら、煮え湯のごとく燃え広がっているように私には感じられる。
 
嫉妬に燃える、君は美しい。
 
 
幸運に選ばれた人間、男に愛された女しか、絵画や写真の主人公にはなれないのだろうか?
 
……そんなわけ、ないよな?
 
幸いなことに芸術という奴は、そこまで、心の狭い奴ではないのだから。

Zero to One ~ピーター・ティールの「金儲けに役立つ哲学」~

ピーター・ティール(1967~)

ピーター・ティーは、ドイツ出身の億万長者である。彼はスタンフォード大学で哲学を専攻し、哲学の力を利用して莫大な富を築くことに成功した。彼の経営思想を学べば、「哲学は社会の役に立たない」どころか哲学は金儲けの役に立つ」ということがよくわかる。
 

「競争」から「独占」への転回

ティールは少年時代、病的なまでに「競争」に熱中した。学校のテストでクッソ高い点を取り、ライバルよりも良い成績を出そう。チェスの大会に出場し、全米トップに入賞しよう。ティールはチェスで全米7位になり、ハーバード大学にも合格した。しかしハーバード大学に入学したら他のクッソ優秀な学生と競争して負ける怖れがあるので」彼はハーバードに進学しなかった。その代わり彼は、スタンフォード大学に進学した。
 
ティールはスタンフォード大学哲学科で、ルネ・ジラールとかいう哲学者に出会った。ジラールは、人類の不毛な「競争」を批判した哲学者である。人類は、他人が欲するものを欲する」生き物である。そして人類は模倣(ものまね)が好きなので、他人がやることをよく真似する。例えば、友達がニンテンドースイッチを持っていたら、自分もニンテンドースイッチが欲しくなる。そして友達がポケモンのオンライン対戦に熱中していたら、自分もオンライン対戦に熱中する。こうした要領で「他人の欲望」と「模倣」から、激しい「競争」が生まれるわけだ。
 
今まで病的なまでに「競争」に取り憑かれていたティールは、ジラール先生の「競争を批判する哲学」に触れ、自らの思想を大きく転回させた。人類は何の意味も無いものを巡って不毛な競争をしやすく、相手に勝つことだけに夢中になりやすい。しかも競争で利益を出したり・競争で自分の目標を叶えたりすることを忘れて、大勢の人物が無意味な戦いに熱狂してるじゃないか。哲学はティールの内面に大きな反省をもたらし、哲学はティールの心を変えた。
 
そしてティールは、「競争を避け、独占を狙う」独自の経営思想を形成するようになる。
 

大学で学んだ哲学で億万長者になる方法

ティールの「競争を避け、独占を狙う」経営思想は、シンプルかつ実にクレバーな理論だ。
 
例えば今の日本のアニメ業界は、競争がクッソ激しいことで知られている。日本には多くのアニメ会社やアニメ関係者が存在し、一週間に放送されるアニメの量もクッソ多い。そんなアニメ業界に参入して競争で勝利するのは、非常に厳しい所業である。さらに競争に巻き込まれた人々は敗北を怖れ、競争に敗れた人々は廃業や倒産に陥ることもある。アニメ業界とは少しズレた話になるけど、競争に巻き込まれた会社は、自社の製品を競合他社よりも安く売らなければならなくなったりもする。
 
そこでティールは「競争する人間は負け犬」と言い放ち、他の競争相手が見付からない分野を独占する」戦略を立てた。彼は大勢の人々が競争しているのを横目で見ながら、大勢の人々によって開拓されていない市場を探す。そして彼は未開拓の市場を独占し、無意味な競争を避けながら自分の領土を広げていく。さらに市場を独占すれば、その市場の商品価格は彼の自由で決められる。この手口で、彼は億万長者になったのである。
 
ティールの狡猾なまでに要領の良い経営思想は、彼の主著Zero to One”に要約されている。
 

「もしもあまりにも大勢の企業が市場に参入したならば、人々は敗北を怖れるでしょうし、いくつかの店が畳まれるでしょうし、価格は持続可能なレベルまで戻るでしょう。完全な競争状況下では、長い目で見ると、どの会社も経済的な利益を出せないのです。*1

「完全な競争状況の対極にあるのは、独占です。競争力のある会社は市場価格で商品を販売するのでしょうが、独占する会社は市場を所有するので、価格を自分で設定できます。そのため、競争は存在せず、会社は最大の利益を出せる量と価格の組み合わせで、商品を生産できるのです。*2
 
ティールは当時注目されていなかった電子決済市場に注目し、1998年にオンライン決済サービス会社「ペイパル」を創業した。彼はペイパルの成功により時代の寵児になり、2004年に新会社パランティア・テクノロジーも創業した。ティールはパランティアのCEOに、アレックス・カープとかいう哲学者を抜擢した。カープはドイツを代表する哲学者ユルゲン・ハーバーマスから博士号を授与された男で、投資で莫大な富を稼いだ経験もある。また、ティール財団は、ジラール哲学の応用を促進しているという。
 

「哲学は社会の役に立たない」と「競争」を疑え!

今の日本には、「哲学は社会の役に立たない机上の空論だ」と思っている人が多いように私には感じられる。しかしピーター・ティールが哲学の力を利用して億万長者になったという事実を考慮すると、哲学は使いようによってはむしろ「金儲けにクッソ便利な学問」だと思えてくる。孫子』や『韓非子』のような中国哲学を経営に役立てている実業家は、日本にも存在するしな。パリピ孔明とかいうアニメでは、中国の兵法が音楽プロデュースに応用されているという話もあるし
 
また、ティールの「競争を避ける経営哲学」は、競争の渦中で苦しんでいる人々にとって、示唆に富んだものであろう。学校・会社・オンラインゲームなどでの競争に疲れた人々は、競争を避けて独占を狙う」ティール思想の導入を検討してみてはいかがだろうか。競争し、競争に勝つことだけが、人生の喜びではない。私たちは独占し、独占できるニッチな領土を広げることによって、幸せになることもできるのである。
 
●参考文献
Peter Thiel with Blake Masters, “Zero to One”, Virgin Books, 2014
トーマス・ラッポルト(赤坂桃子訳)『ピーター・ティール』、飛鳥新社、二〇一八
木澤佐登志『ニック・ランドと新反動主義』、星海社新書、二〇一九

*1:Peter Thiel with Blake Masters, “Zero to One”, Virgin Books, 2014, p.24.和訳は私=甘井カルアが担当した。

*2:Ibid.

美少女ゲーム考察奮闘記〜永遠編〜

このブログのメインコンテンツである美少女ゲーム考察が区切りの良い所まで進みましたので、今回は今までの考察を振り返ります。
 
・『魔女こいにっき』
『魔女こいにっき』は、愛する人と結ばれず、夢が叶わなかった人たちのための物語だと思います。PC版の真エンディングでは夢が叶わなかった人間の悲痛な叫びが響いていて、私はこの結末をとても気に入りました。私はこの記事を書いていた時、学生の頃に思い描いていた理想が全く実現せず、深い悲しみに陥っていました。現実に負けないためにフィクションを創作する」という思想を、私は『魔女こいにっき』とサルトルの『嘔吐』から学びました。Vita版にはPC版には無い結末が用意されているようですが、私はPC版の真エンディングだけでもう、満腹気分なのです。
 
・『青い空のカミュ
私は『青い空のカミュ』を全力で考察した結果、このゲームのシナリオには大きな欠陥がある」という結論に至りました。このゲームはグラフィックもシナリオも真心を込めて丁寧に作られているのですが、残念ながらシナリオが「名作」と呼べる域に達していないと思う。このゲームは全ての出来事には必然性が無い」という実存主義思想を語っていますが、この思想はメタ的なプログラムに支配されたビデオゲームという媒体と相性が悪すぎると思う。ビデオゲーム実存主義思想を表現する」という基本コンセプトがダサいので、『青い空のカミュは二流の作品だと私は考えています。
 
・『美少女万華鏡』シリーズ
私はこの『美少女万華鏡』シリーズの考察を、このブログの新たな目玉コンテンツにしたいと思っていました。『美少女万華鏡』シリーズはヲタクの間で人気が高く、シナリオもグラフィックもレベルが高い。このゲームは第一話から最終話(第五話)に進むにつれて、シナリオがどんどん高度になっていく所が頼もしかった。最終話は内容が濃厚でボリュームもあったけど、第四話が文芸作品として良くまとまっていたので私は気に入った。でもこの『美少女万華鏡』シリーズの考察、私が期待したよりはアクセス数が大して伸びなかった(笑)。
 
『ONE』は、美少女ゲーム史上の古典とも言える作品です。操作性とグラフィックが現代人から見たら酷すぎるレベルでしたが(苦笑)、ストーリーはとても良かったです。「全ては夢だ」「夢と現実の区別は付けられない」というありがちな思想ではなく、「全ては現実だ」というメッセージを語っている所が、今見てもすごく斬新でした。しかしこのゲーム、有識者による先行研究の質が悪いせいで、長い間誤解されているように私には思える。近いうちにリメイクが発売されるらしいので、このゲームは悪質な先行研究を振り切って再評価されて欲しい。
↑あ、コレのことね。
 
・『新妻LOVELY× CATION』
私のブログ記事は長文になりやすいのですが、このゲームの記事は久しぶりに2000字以内に収まりました。ゲームの大まかな内容を短文で要約した末に、今話題の異次元の少子化対策と絡めたオチに繋げられたので、私は大満足です。記事の反響もおかげさまでかなり良くて、この記事を書いて良かったなと私は心から思いました。
 
私が今回考察した一連の美少女ゲームは、「永遠」がテーマになっている作品が多いと思います。『魔女こいにっき』は、日記の中に永遠に閉じ込められた、片思いの物語。『美少女万華鏡』は、万華鏡の中から垣間見える、永遠の愛の世界。『ONE』は、永遠の世界との向き合い方について、考えさせられる作品。『青い空のカミュ』と『新妻LOVELY×CATION』もこじつけを言えば「永遠」と関係があると言えそうだけど、無理をするのは止そうw。
 
今回考察した美少女ゲームはわりかし最近の、しかもホワイトなイメージのある作品が多かったと思います。その反動で今後は当分の間、ダークでブラックな名作をガッツリ考察して行きたいです。手始めに、終ノ空remake』間宮卓司視点の考察をミッチリ書きたいです……ぷるぷるっ!