かるあ学習帳

この学習帳は永遠に未完成です

「カオナシ」とはなにものだったのか?~影、または虚栄心~

千と千尋の神隠しに登場するカオナシは、正体不明の存在として描かれています。『千と千尋の神隠しを観てもカオナシとはなにものだったのかがよくわからなかったという方は多いのではないでしょうか。結論から先に言わせて貰いますが、カオナシは「影の主人公」であり、「虚栄心」のような存在だと思います。

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監督・脚本:宮崎駿
(C)2001 二馬力・TGNDDTM
2001年7月20日公開
 

影の主人公

 
千と千尋の神隠し』の映画パンフレットには、作曲家・久石譲へのインタビューが収録されています。久石さんによると、カオナシは「影の主人公」だそうです。
 

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 カオナシは影の主人公ですよね。短く頻繁に登場する。彼の動きをずっと見ていくと、ある意味そのキャラクターは主人公より明解なんですよ。だから逆にカオナシのテーマ曲はかなり真剣に作りました。
 
さて、カオナシが「影の主人公」であるとは、一体どういう事でしょうか。カオナシを考察するためにはまず、「表の主人公」である千尋のキャラクターを把握する必要があります。
 

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宮崎監督は『千と千尋の神隠し』の映画パンフレットで、千尋の迷い込んだ世界では、言葉を発することはとり返しのつかない重さを持っている」と語っています。千尋は釜爺や湯婆婆に「ここで働かせて下さい」と言葉を発しました。また、千尋は釜爺に「ハクを助けたい」という意志を表明しました。自分から言葉を発することによって、千尋は生きる道を切り開きます。

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千尋は作中で、他者のためになる行動をしました。河の神様からゴミを引っ張り出したり、ハクを助けるために銭婆の家を訪問したりしました。千尋は利他的な行いをすることによって、他者に誉められ認められます。
 

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千尋は、作中でアイテムを手に入れます。カオナシからお札を受け取ったり、河の神様からニガダンゴを受け取ったりします。千尋は他者の得になることをするせいか、千尋の周りにはアイテムや金銭が集まってきます。

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一方、カオナシはどうでしょうか。カオナシは自力では「アッ…アッ…」としか言うことができず、他者の声を借りないとまともにコミュニケーションができません。

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カオナシ湯屋に侵入し、自分を肥やすための行動をします。湯屋の従業員や湯屋の食べ物を体内に取り込み、自分を大きくします。カオナシは他者の注目を浴びながら、自分を太らせます。

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カオナシは、作中でアイテムや金銭を支払います。千尋にお札を渡したり、湯屋の従業員に金銭を支払ったりします。カオナシはアイテムや金銭を消費することによって、他者に有り難がられます。千尋は「他者に誉められることをして、収入を得る」のですが、カオナシは「支出することによって、他者に誉められる」のです。

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ここまで考えると、カオナシが「影の主人公」であるということが納得いただけるのではないでしょうか。「表の主人公」である千尋は自分から言葉を発し・利他的な行動をし・収入を得ます。一方、「影の主人公」であるカオナシは自力で言葉を発することができず・利己的な行動をし・支出をします。千尋カオナシは光と影のように対極の存在なので、久石さんはカオナシを「影の主人公」と呼んだのだろうと思います。

 

虚栄心の化身

 
私=甘井カルアの持論ですが、カオナシは人間の虚栄心の象徴だと思います。
 
さて、「虚栄心」という言葉の意味を明確にしましょう。ニーチェの主著『ツァラトゥストラ』では、虚栄心について説明されています。以下の引用文はちょっと難解なので、適当に読み飛ばして頂いて大丈夫です。
 

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 さらに、虚栄心の強い者の謙虚さの深さを、誰が完全に測りきれよう! わたしは、彼の謙虚さのゆえに、彼に好意を寄せ、同情をいだく。
 きみたちから、彼は自分自身に対する信念を学ぼうとする。彼はきみたちのまなざしによってわが身を養い、きみたちの手から称賛をむさぼり食う。
 きみたちの嘘が彼についての賛辞であれば、彼はきみたちの嘘でさえ信じる。というのは、彼の心はその奥底で、「わたしは何ものであるのだろう!」と嘆息しているからだ。*1
 
虚栄心が強い人は、自分自身に対する信念(自信)を得るために、他人の注目を集めたり、他人から誉められまくろうとします。そしてたとえその誉め言葉が嘘だったとしても、他人からの誉め言葉を信じようとします。なぜなら、虚栄心が強い人は自分が何ものなのかがよくわからず、「わたしは何ものであるのだろう!」と内心嘆いているからです。だから、とにかく誉められて自信を付けようとするのです。
 
誉められて自分に自信を付けるためなら手段を選ばない人間が、この世には存在します。例えば、異性に好かれるために大金を払って整形したり、SNSのフォロワーを増やすために高額なプレゼント企画を開催したりする人間が、この世には存在します。虚栄心が強い人は他者に有り難がられるためなら手段を選ばず、自分を虚ろに繁栄させます。
 

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カオナシは、虚栄心で動いているように思います。カオナシは、何ものなのかがわかりにくい空虚な存在です。カオナシは卑怯な手段を使い、湯屋の従業員に有り難がられて自分を増大させます。カオナシは虚栄心と完全に一致しているとまでは思いませんが、虚栄心が強い人間の空虚さを象徴するキャラクターだと思います。
 

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そんなカオナシは、物語の終盤で銭婆から手芸を教わり、銭婆の家に残ります。カオナシは人々から注目を浴びるのではなく、田舎でひっそりと暮らすことになるでしょう。カオナシのような人物は、見栄を張らずに質素に暮らすのが一番だということでしょうか。ともかく『千と千尋の神隠し』は、千尋という表の主人公とカオナシという影の主人公の、心の旅です。

*1:ニーチェ(吉沢伝三郎訳)『ツァラトゥストラ・上』、ちくま学芸文庫、一九九三、二六一頁。

美少女ゲーム考察奮闘記~始動編~

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いきなり私事で恐縮ですが、このブログの記事数が前回でちょうど100記事になりました!そして、『SWAN SONG』の考察も前回で終了することにしました。今回はちょうど良い機会ですから、私が今までに書いてきた美少女ゲームの考察を振り返ってみようかなっと。

 
私がこのブログに初めて書いた美少女ゲームの考察は、『少女と世界とお菓子の剣~Route of ICHIGO 1~』の考察でした。なぜこの作品を選んだかというと、この作品は私がプレイしてきた美少女ゲームの中で一番面白かった作品だから。本当に好きな作品だったので、心を込めて考察を書きました。書いてみた結果、『少女と世界とお菓子の剣』をはじめとする私立さくらんぼ小学校作品の総論みたいな内容に仕上がりました。
 
この私立さくらんぼ小学校論の反響は当初、ほとんどありませんでした。ブログを始めて日が浅かったこと、はてなブログの「グループ」に全く加入していなかったこと、考察した私立さくらんぼ小学校作品の知名度が正直あまり高くなかったこと…などが原因だったのでしょうか。ともかく、こんなに頑張って書いたのに、こんなに反響が無いもんなんだな…と、当時は落胆した記憶があります。

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苦魔鬼轟丸氏の日記より抜粋

ところが、考察を書いて半年以上経ってから、嬉しい出来事が発覚しました。なんと、シナリオライターの苦魔鬼轟丸さんが、私が書いた考察を何度も繰り返しご覧になっていたのです。苦魔鬼さんに去年9月の日記で、私の私立さくらんぼ小学校論を「あまりにも的確で、自分の心を丸裸にされているようだ」と評して頂きました。この私立さくらんぼ小学校論は作者様からお褒めの言葉を頂きましたし、私自身としても「内容には」自信があります。

 
・『青い空のカミュ』の考察

amaikahlua.hatenablog.com

『青い空のカミュ』の考察を書いていたころの私は、このブログを伸ばそうと必死になっていましたね。初見の読者様にもわかりやすいように文字の色や大きさを工夫したり、記事をテーマ別に分けて連載したり、本当に色々なことをやりました。『青い空のカミュには体験版の時点で注目していましたし、発売後にもたくさん記事を投稿したものです。今読み返すと記事の数が随分多いし、記事の内容に稚拙な点があるし、当時の心の乱れがよく表れているw

 

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『青い空のカミュ』の考察は、原画・シナリオを担当した〆鯖コハダさんに読んで頂きました。苦魔鬼さんといい、コハダさんといい、作者様に直接考察を読んで頂いているので、私の記事は作者様に愛されて(?)いるなあ…と嬉しく思っています。
 
ただ、『青い空のカミュ』の考察は、書いている間中、辛いことが多かったですね。『青い空のカミュのソフトが発売された後になると、他人が書いた高レベルな考察が続々ネットに投稿されて、他人の考察に変な話「負けない」記事を書こうと必死でした。他にも、ここに書きたくないような苦しみが本当に多かった。青い空のカミュ』の考察を書くのが辛すぎたので、『青い空のカミュ』の考察が完成した後、美少女ゲームの考察をブログに書かない日々が長らく続きました。
 
・『沙耶の唄』の考察
沙耶の唄』の考察は、私が今までこのブログに書いてきた美少女ゲームの考察の中で、人気も完成度も一番高い考察だと思います。有り難いことに『沙耶の唄』の考察には、今でも多くのアクセスを頂いています。『沙耶の唄』は物語が明晰に構築されているので、考察がとても書きやすかったですね。
 
『青い空のカミュの考察を書いた後はポケモン映画の考察を書いたり、文学や哲学の話をしたり、色々試しました。ですが、私が書いていて一番心が躍るのは美少女ゲームの考察だなあ…と改めて実感しました。
 
・『フロレアール~すきすきだいすき~』の考察
フロレアール』の考察は気に入っていますし、書いていて楽しかったですね。シナリオライター元長柾木さんはインテリなので、考察を進めながらインテリの知恵を分けてもらっている感じが心地よかった。
 
フロレアールは元々アングラな美少女ゲームの中でも特にマイナーな作品ですし、大昔の作品です。にも関わらず『フロレアールの考察は多くの方々に興味を持って頂きましたし、「考察を読んで作品をプレイしたくなった」というご感想も複数頂戴しました。嬉しい限りです。これからもたとえマイナーな作品であろうと、一昔前の作品であろうと、良いものは良いものとしてどんどん紹介していきたいですね。
 
・『SWAN SONG』の考察
SWAN SONG』の考察は、教会ENDの考察を書くのがしんどかった」、この一語に尽きる。SWAN SONG』は名作として評価が高い作品で、検索すると優秀な方々がお書きになった力作の考察が続々出てきます。既に大勢の先達によって詳細に考察されてきた作品なので、今更『SWAN SONGについて目新しい角度で考察するのはとても骨の折れる作業でした特に「教会END」はかなり研究し尽くされた感のある結末なので、あまり良い考察が書けなかったと思いますorz
 
既に先達によって踏破された作品の考察を書くのは難しいということを、私は『SWAN SONG』から学びました。先達のパクリや劣化コピーみたいに思われる考察は書きたくないですからね。『素晴らしき日々』や『Rewriteみたいな作品は、先達による力作の考察がたくさんあるから今更考察したくないなあ。『素晴らしき日々の考察を書いて欲しいというご意見を頂いたことがありますが、正直気が進みません。申し訳無いですが。
 
 
…最後になりますが、美少女ゲームの考察を書くのは、本当にわくわくする作業です。私が書いた美少女ゲームの考察を読んでもいいよという聖者のような方は、読者登録して頂けると泣いて喜びます。
 
では、またこんど!!(平沢進風に)

『SWAN SONG』トゥルーENDを再評価する。

18禁ノベルゲームSWAN SONGには、2つの結末が用意されています。「教会END」と「トゥルーEND」です。教会ENDは悲劇的な結末を圧倒的な迫力で描いており、読み物としての評価が高いです。一方、トゥルーENDはささやかな生活芝居をあっさりした文章で紡いでおり、読み物としての世評はあまり高くありません。今回は、教会ENDと比べて低評価されがちなトゥルーENDを再考し、トゥルーENDの価値を高めようと思います。

 

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SWAN SONG
シナリオ:瀬戸口廉也
原画:川原誠
(C)2005 SWAN SONG制作委員会
2005年7月29日発売
 

メタファーとしての「雪」

 
SWAN SONG』の物語の舞台は、雪に覆われた被災地です。巨大地震によって瓦礫と死体が散乱した大地を、白い雪が覆っています。
 
SWAN SONG』では、極限状態に置かれた被災地の人々の言動が、リアリズム溢れる筆致で描かれています。魔法や妖怪のようなオカルトは、『SWAN SONG』には登場しません。『SWAN SONG』は、非常に現実的な物語であるように見えます。
 

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しかし、雪や天候に関する描写には、ちょっと現実味がありません。昼間になっても、世界が薄暗い。2月の半ばになっても、異常な寒さが続いている。4月が近付いても雪が降り続いており、春の若芽が顔を出さない。この氷河期のような異常気象は、さすがに非現実的ですね。
 
SWAN SONG』の非現実的なまでの異常気象には、何か意味があるのでしょうか。ライターの瀬戸口氏は、長引く寒さや降雪に、何か意味を持たせているのでしょうか。どうやら、そうらしいのです。そのことは、教会ENDでの柚香の発言から窺い知れます。
 

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柚香「(中略)きっと私の心のなかはこの街と同じなんです。グロテスクな廃墟を、冷たい雪が覆い隠して、そして全てを拒絶しているんです
 
この発言から察するに、SWAN SONG』の世界を覆い尽くす雪は、世界を拒絶する心の壁の象徴でしょう。自分の本心をさらけ出せず、ありのままの世界を受け入れない人間の心の冷たさが、雪に象徴されているのでしょう。
 

氷河から大地へ

 
SWAN SONG』トゥルーENDでは、快晴の青空の下で、大地を覆う雪が溶けそうになります。このことは、世界を拒絶する柚香の心が変わり始めていることを示唆していると思います。
 

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司「一ヶ月もすれば、雪は全てなくなるでしょうね」
 
柚香「それまでずっと沢山の死体が雪の下で眠り続けるんですね
 
 突然といえば突然の言葉に、僕は驚いて彼女を見た。しかし彼女は前を眺めたまま、普通の表情をしている。
 
司「そうですね」
 
柚香「雪が溶けたら、止まっていた彼らの時間がまた動き始めてしまうんですね
 
司「そうなりますね」
 
柚香「私、どうしても想像してしまうんです。いまは氷のなかで綺麗なままの人たちも、暖かくなりはじめて剥き出しになったらって。どうなると思いますか?
 
心に深いニヒリズムを抱える柚香は、ありのままの自分の心、ありのままの世界が剥き出しになるのをためらいます。雪が溶けて露出した大地に醜い瓦礫や死体が転がっていることが象徴しているように、ありのままの自分の心、ありのままの世界はグロテスクなものだと柚香は思っているでしょう。だから柚香は雪が溶けることを恐れるし、全てがさらけ出されることを恐れます。
 

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司「まあ、雪が溶けないのなら、氷の上で生きてゆく方法を考えるだけです。溶けたのなら、違うやり方があるはずです。どちらでも一生懸命やるだけですよ」
 
柚香「……」
 
司「あ、でも、わがままを言わせてもらえば、溶けてくれないと困るかもしれません
 
柚香「困る?」
 
司「ええ、凍り付いた大地の上じゃ、ひまわりが育ちませんから
 
強靭な心を持つ司は、柚香と違って、雪溶けを受け入れます。そして、雪が溶けて露出した大地にひまわりの種を撒こうとします。ひまわりの種は、ありのままの世界をポジティブなものに作り変えようとする司の意志の象徴でしょう。雪が溶けたありのままの大地が荒れ果てているのならば、そこにひまわりの種を撒けばいい。ありのままの自分の心、ありのままの世界がグロテスクならば、その醜さをを改善する意志を持てばいい。だから、ありのままの自分の心、ありのままの世界が剥き出しになるのは、怖くない。
 
 僕には彼女がいま何を思っているのかわからないけど、それがいいことだったら、凄くいいなと考えている。
 
他人の気持ちがわからない司は、もちろん柚香の気持ちがよくわかりません。しかし、司も柚香も雪解けした大地を受け入れ、心を開いてありのままの自分や世界を迎え入れれば、同じ空の下、歩み寄ることができるのではないでしょうか。そこから、みんなで世界をポジティブなものに作り変えればいい。
 

トゥルーENDの意義

 

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いかがだったでしょうか。トゥルーENDの内容は、確かに教会ENDと比べてあっさりしていると思います。しかしトゥルーENDでは、「柚香のニヒリズムの救済」「司と柚香が歩み寄る可能性」「ありのままの世界を受け入れること」が描かれています。この3つは、教会ENDが挫折した項目です。
 
教会ENDでは柚香のニヒリズムは救済されなかったし、司と柚香の心の断絶が描かれたし、司と柚香はありのままの世界からも隔絶されていました。しかしトゥルーENDでは柚香のニヒリズムがにわかに救済され、司と柚香が歩み寄る可能性が示唆され、ありのままの世界を受け入れる用意が整えられました。つまりトゥルーENDは、教会ENDの不備を補完する役割を担っていると解釈できるわけです。
 
トゥルーENDでは、教会ENDよりも簡潔な文章で、教会ENDの挫折が補完されています。ものは言いようですが、「トゥルーENDはあっさりしている」ということは、そのぶんだけ文章が簡潔だということです。そして、少ない文章量で、教会ENDの補完が果たされています。この長所は称賛に値するでしょう。トゥルーENDは、再評価されるべきだと思います。